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先生は昭和38年〜47年までの10年間を青南で過ごされました。清水先生の後を継いで5、6年生の担任をして下さいました。先生は、女子も男子も「さん」づけでお呼びになり、班を作って座らせるなど新しい授業形式を積極的に取り入れられました。クラスを2つに分けてかなりレベルの高いクイズを出されたり、面白くて活気と緊張感あふれる、お授業の思い出は今でも、心に焼き付いています。先生は、大変に落ち着いた方でした。叱る時は、静かに威厳をもって、時には、ぱあっと明るくお笑いになるのでした。作文では、赤ペンで良い所に小さなマルを連ねた印をつけて下さるし、最後にはとてもいきいきとしたコメントを書き込んでくださいました。ご専門は理科で、5年生のとき、全国公開の研究授業を行われ大きな業績を残されました。現在も趣味の写真で受賞されたりと御活躍なさっています。
1、教職を選んだ理由
女学校の時、担任して下さった先生にあこがれた。その先生のように、優しい中にもリンとした強さを秘めた先生になりたいと思って、師範学校に進んだ。
2、尊敬する人物と理由
K校長先生。あたたかく包容力のある大校長だった。理科、中でも野の花にくわしく、現在私が花や風景の写真を撮り続けている原点は、K先生にある。
3、当時の青南小学校
私が青南小学校で過ごしたのは、昭和三十八年から十年間。着任した時はオリンピックのために、青山通りが工事中だった。当時は多くの外国の大使館や公使館のある閑静な住宅街であった。
父母は教育熱心で学校に大変協力的であった。いまだに保護者のクラス会が続いているが、この様な例は少ないのではないだろうか。
4、座右の言葉
「いつも青春、そして感謝」
「青南」に載せられた「先生のおことば」ヘは、こちらから
先生の「絵手紙」へは、こちらから
写真展示会(2004年:2006年) 第15回UPCフォトクラブ展へは、こちらから
先生から、お写真を拝借する事ができました。タイトルは先生がお付けになったものです。 (2002年秋)
先生の作品 「富士山 春夏秋冬」
1、「春らんまん」 撮影地 芝川
2、「春景」 撮影地 山中湖村
3、「秋日和」 撮影地 河口湖
4、「のどか」 撮影地 山中湖
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