創立の頃の青南小のようす

校舎は今の場所だが、木造2階建て、総面積700平方メートル、校門は校地の東の角にあり、花崗石の高い石柱が建って

いた。建物は鍵の手に延び、東南に面して運動場が広がっていた。(我々の頃と同じ配置だが、門の場所が違う)

校門のすぐ前には赤いレンガ造りの塀に囲まれた黒木大将の(日露戦争の第一軍を指揮した陸軍大将、勇猛果敢で有名)

邸宅があった。南側は広々とした畑が続いており、今の日銀の建物の辺りは広域にわたって広い原っぱになっていた。

(本尾子爵所有につき、本尾が原と呼ばれた。)青山墓地は、学校から一望のうちに見渡せるほどだったので児童は

休息時間によく墓地で遊んだ。小使いさんの打ち鳴らす始業の鐘は、殆どさえぎる物がなかった為、カーンカーンとよく

響いた。墓地といってもまだ、墓石は少ししかなかったのである。

はじめのクラスは3学級、教師は校長を含めわずかに4名にすぎなかった。他に小使いさん2人と、区役所兼務の書記が

おり、まことに小じんまりとしたものであった。校長34才、教員21才2名、26才、28才各1名、若い先生方ばかり

だった。                                       (青南70周年記念誌より)

    創立当時の青南小学校  「青南」60周年記念号より転載