仲代達也(1932〜 )


俳優として、舞台、映画、テレビで大変に活躍されています。無名塾を開いて若手の俳優の育成にも力を注いでいます。

「青南」創立65周年記念誌には「あの頃」という一文を、創立70周年記念誌にはイラストを寄せています。


「あの頃」より抜粋

僕が青南小学校に行ったのは、大平洋戦争たけなわの頃、国の歴史の上でも、僕個人の人生の中でも、いわばどん底の時代であった。

長く病床にあった父親が死亡したのは開戦のまぎわ、それでなくとも暗く、生きにくく傾いてゆく国家と社会の中で、ひどいぜんそく持ちの母親と、多勢の幼い子供達の家庭がみるみる貯えを使い果たして窮乏したのは当然であった。

家が青山に越してきて、近いからというだけの理由で僕は青南小学校に編入させられたのだが、青南といえばいわゆる一流家庭の子弟の行く名門校、連日空襲のある様な、どさくさな時代でなければ、僕などの行く学校ではなかった筈である。事実「貧乏人の来る学校ではない」という様な迫害も多少あったらしいのだが幸か不幸か僕は長男の甚六で、ひどくおくててぼんやりした子供だったから、そんな事もあまりはっきりとは記憶に残っていない。(文中省略)

その少ない記憶の中で、山本五十六元帥の国葬などは印象に深い。元帥の御子息は同級生だったし、終戦の時、切腹された阿南陸相の御子息もそうであった。思えば貧乏な僕ばかりではなく、様々の形で幼い小学生の上に、戦争と歴史の大きな投影があったのである。(以下省略。この後、千川への学童疎開で分け隔てなく愛情を持って接して下さった、先生への感謝の言葉で結ばれています。)