青山通りの拡張
明治期に交通機関の発達に伴い大幅な修正計画が建てられ、以来4回に亘って道幅が広げられた。
明治22年「東京市区改正設計」が公示されたが計画が壮大すぎたのと、日清戦争勃発で実現せず。
明治36年 大幅な縮小修正案が公示され大正7年漸く完成
明治37年 市電開通(三宅坂〜外苑前)同39年暮、青山7丁目まで。明治44年夏には渋谷まで延長
昭和14年 地下鉄銀座線開通に伴い青山通りは3車線(幅22m)
昭和34年 最後の道路拡張(幅40m片面4車線)
昭和43年 9月都電廃止後、中央分離帯が作られた。(現在はグリーンベルト)
青山通りの街路樹
青桐が植栽されている。中国で青桐の葉は「もののあわれ」を感じさせると言われている。