根津嘉一郎1913〜2002

東武鉄道、東武百貨店元社長 青南小同窓会長 2002年2月15日御逝去


青南小の子供達に「根津さん」と呼ばれて親しまれた、お庭とお屋敷の持ち主です。私達が青南在学中にも、式年行事(60周年、65周年)には、同窓会会長として、御挨拶を下さいました。学校誌「青南」にも、心のこもった御挨拶を下さった事が記されています。

美術館は、昭和15年に、初代根津嘉一郎が収集した古美術品をその遺志によって邸地内に公開する目的で設立されました。戦災を受け(美術品は疎開していて無事)昭和29年に再建、30年再開。工芸品を中心に約一万点を収蔵

国宝、重要文化財、重要美術品合計168点 茶器が7割、殷周の銅器も著明であり、逸品主義的と言われています。特に著明な作品は「那智滝図」「燕子花(かきつばた)図屏風」尾形光琳作です。(共に国宝)

また、お茶室の点在するは、いわゆる作庭というよりも、自然の風趣を生かし、斜面と渓流をとりいれ、俗化することなく、都内でも最も閑寂な優れた庭のひとつになっています。

(港区史跡散歩 学生社版 都内史跡ガイド3より抜粋)


現在入り口の場所が、新しく作られましたが、私達が子供の頃は、みゆき通りの突き当たり角に、大きな門がありました。小さな白い入場料入れが立っていて「入館料10円」と書いてありました。真面目な顔で、10円を入れて、禁止されているザリガニ捕りにこうじて、池に転落した人も少なくなかった事でしょう。

あちらこちらに、大きな灯ろうや、孔子像などがありましたので缶蹴り等にも適していました。今考えると、ずいぶんハタ迷惑な事をしたものです。また、表の方は道路に面して、白い立派な塗壁が続いていますが、裏の方は竹垣か何かでしたし、子供のあけた?塀の穴というのもありました。閉館後も庭で遊んでいて叱られて、追い掛けられて逃げ出す時その穴の存在を教えてくれたのは青南の男子でした。

美術館正面の、石作りの休憩席の下に、防空壕のような暗い、シンとした鉄ドアで閉められた部屋があり、ドキドキしながら覗き込んだ思い出があります。南側の雑木林の中には、朽ち果てた小さなお堂もありました。

日曜日に.両親と共に美術品を観に.お散歩に行くときは、別人のようにおすましして出かけたものです。また、長じてからは、秋のお茶会の度に、子供の私には決して入る事がゆるされなかったお茶室で、お手前やら、お運びやらをしながら、昔、足がはまって抜けなくなったあの池には、まだ私の靴が沈んでいるのかしら、と思ったりいたしました。根津さんにはみなさんにも、懐かしい想い出がおありでしょう。

(旧悪童女の思い出)


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