「降る雪や 明治は遠くなりにけり」
この句の説明
小学校時代は大部分を東京で送ったが、年を経た大学生時代になってから、東京においての最後の小学校生活を送った青山の南町にある青南小学校を久しぶりに訪れてみた。折から突如の雪が降りはじめ、降りしきって、その真白なカーテン越しにみる、その放課後の無人の風景は、時間の観念を奪い去って昔がそのままの情景であるかのような錯角を一旦与えると同時に、次の瞬間には反転して、したたか強く、一切は過ぎ去った。明治という、あのなつかしい時代は永久に過ぎ去ったという感銘をきざみつけたのである。その折にあの句が生まれた。
(青南小創立70周年記念誌 P.165 旧職員 橋本健太郎先生の寄稿より)
明治神宮崇敬会、月刊誌第八巻第五号(昭和42年5月1日発行)の中村草田男氏の「明治は遠くの句について」より引用
されたそうだ。1977年当時中村氏は、成城大学文学部教授、朝日新聞日曜俳壇選者であった。
冒頭部分の「降る雪や」がとれ、「明治は遠くなりにけり」という言葉が一人歩きして一種の通念的流行語として、
あらゆる場面で用いられたために空虚で、無気力な語になってしまった。そのために上記を含む一文を発表された。
中村草田男氏が句を詠んだのは、東大の学生の時であり青南小の校舎は、創立当初の瓦葺き二階建て、十二学級規模の
木造校舎である。