紀ノ国屋の沿革
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1910 |
明治43年
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南青山5丁目に果物商「増井浅次郎商店」創業 |
1915 |
大正4年
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現在地に店舗を移転「紀伊之国屋」とする。 |
1921 |
10年
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アメリカから大型冷却機を買い入れ地下室に設置し8畳程の冷蔵庫を設営。冷えた果物を売る事は、当時画期的で特に夏の冷しすいかの人気はすさまじく首相官邸をはじめとする新たな客層が広がった。自家製アイスクリームの製造販売も行われ、当時としては高価であったが(1個30銭)評判になった。 |
1924 |
13年
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屋号を「紀文」と改称する。 |
1930 |
昭和5年
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宮内省御用の果物商として「門鑑」を受ける。 |
1932 |
7年
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前6年には配達用オートバイ、7年配達用自動車「ダッジ」の新車を購入。 |
1941 |
16年
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開戦が近づき、経営の基本方針が貫けなくなり休業。 |
1945 |
20年
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閉店中の店舗、空襲で焼失。 |
1946 |
21年
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GHQよりりんご納入の特別調達指令が出され、青森りんご協会をとりまとめて先頭に立ち納入を行う。 |
1948 |
23年
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「株式会社紀ノ国屋」となる。 |
1949 |
24年
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現在地に店舗を再建「果物」と「清浄野菜」を扱う。東京都指定の「洗浄野菜販売店1号店」 |
1953 |
28年
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セルフサービス方式による、日本初のスーパーマーケットとして開店。 |
1954 |
29年
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ショッピングカートの導入、アメリカ式紙袋導入。洋酒販売開始。
パン職人鈴木 六氏を迎え、パンの販売を開始。店舗増築、駐車場建設。 |
1956 |
31年
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日本初のインストアベーカリーを開設。自家製パンの販売開始。
ホップス種の開発に着手。 |
1957 |
32年
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ホップス種のフランスパン、同様にイギリスパン完成。 |
1958 |
33年
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夏期に(避暑客のため)軽井沢店をオープンする。 |
1960 |
35年
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精肉部門新設、肉のブリックパック販売を始める。冷凍ケースをアメリカより導入し冷凍食品の販売を始める。 |
1961 |
36年
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ボルドー、デロー社にプライベートブランドワインを発注。 |
1963 |
38年
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新店舗オープン。大型冷蔵庫、冷凍ケースをフル装備。
アップルジュースのプライベートブランド化実現。 初の催事「ハワイアンウイーク」を開催 |
1964 |
39年
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フランスよりナチュナルチーズの空輸が開始される。ラム肉日本で始めて販売。初の外国フードフェアである「カナディアンフェア」を開催。 |
1968 |
43年
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山名文夫デザインによるロゴが完成。この頃青南小学校に給食のパンを納入。 |
1969 |
44年
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軽井沢店、現在の地に移り新装オープン。 |
1970 |
45年
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国立店オープン。青山店に鮮魚部門新設。 |
1972 |
47年
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アメリカから生鮮野菜、果物を直接船で輸入する「ファーマーズマーケット」を実現。 |
1974 |
49年
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Kの字をデザインしたシンボルマークを決定(山名文夫デザイン) |
1975 |
50年
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青山店増改築工事に着工 |
1976 |
51年
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等々力店開店。青山店「インターナショナル」として新装オープン。日本初のボーナスクーポン(品目指定割引券)を配布。 |
1978 |
53年
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シャルキュトリ−(惣菜)部門発足 |
1980 |
55年
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第1回海外紀ノ国屋スクール研修団を派遣。吉祥寺店オープン。
京野菜販売開始。 |
1981 |
56年
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漬けもの事業部発足。 |
1982 |
57年
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鎌倉店オープン |
1983 |
58年
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大阪の老舗「小鯛雀鮨鮨萬」の売り場を青山店に常設。 |
1985 |
60年
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ジエチレングリコール混入ワイン事件の拡大に伴い紀ノ国屋全店のワインをすべて店頭より撤去。検査完了したワインのみ販売。 |
1986 |
61年
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紀ノ国屋自家製上海点心発売。 |
1987 |
62年
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青山店2階にスペシャリティフロア整備(クリスマス用品や、ハロウィーン、等の季節商品や、食器等の期間限定販売を行っている) |
「青山紀ノ国屋物語−食の戦後史を作った人々」より抜粋 1989年 平松由美著
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