青南小学校と紀ノ国屋

当時、給食は学校独自のメニューが組まれていた。青南小学校は昭和44年度全国学校給食最優秀校として文部大臣賞を

受賞し記念に、エンドウ豆をデザインしたメダルが配られた。(2年生のページに授賞式に出向いた先生方の写真がある)

また、紀ノ国屋の一族は青南小の卒業生でもある。


昭和43年4月〜45年3月までの3年間(推定)

青南小学校の給食のパンは、紀ノ国屋の食パンだった。

いわゆる食パンより1周り小さいサイズで、1人3枚。紀ノ国屋によると、給食用の配給の小麦粉が配られたのだけれど、

それだけでは美味しいパンは作れないのでカナダのスリーグッドという粉を混ぜて作った。殊に、子供が食べるのだから

できるだけ美味しいものを、という方針で作られた。東洋英和女子学院からも同時期、同様の依頼を受け、この2校に納め

ていたが、製造するパンの種類が多様なため、1日中工場を稼動させていないと間に合わないため、給食のパンの納入は、

かなりな負担となっていた。それで、辞退を申し込んだのだが、なかなか承知してもらえなかったそうだ。ちょうど国立

に工場が移転することになり打ち切りとなった。

(1番残念がったのは親達だったと思う。しょっちゅう自慢の種にしていたものだ。)


パン工場の見学

低学年の時、紀ノ国屋2階にあったパン工場の見学に行った。

パン製造の過程をわかりやすくご説明頂いた時「何故、発酵という工程を2回行うのですか?」

と質問し「それは、大変素晴らしい質問です」と誉められた生徒がいた。(N氏の回想)

また、見学のおみやげに、ブリオッシュとバターロールをいただいた。(AM夫人の回想)

(ブリオッシュになじみがなかった生徒の中には、カップケーキなのに甘くなかった(T氏)という述懐をしている人もいて

この情報が正確であることが裏付けられている。)

昭和44年度の「青南」学校行事蘭に、2月5日 2年紀ノ国屋見学という記述が見つかった。この年度をもって、

国立に工場が移転した。我々も2年生の3学期頃見学させていただいた可能性が高い。