借家探し
【いきさつ】
平成24年のつわの農業実践プログラムでは、大庭敏成さんのわさび栽培、渡邉重利さんのメロン、ハウス野菜、永田寿秋さんの里芋、山菜、ほうれん草栽培の3コースが準備されました。
9月末から25年3月まで月に1回一泊二日の研修です。最初に参加した3名は全員わさび希望で最終回まで落伍者もありませんでした。
研修の後半に津和野町の空家を紹介して頂きました。まだサラリーマンなので直ぐに津和野に転居することはできません。良い物件があれば、今から確保して週末に田舎生活の練習でもというつもり。
【空家事情】
基本的に農業を前提に津和野の中でも山奥の物件を中心に紹介されました。
どのような物件があったかを以下に整理します。
〔比較的現代的な家屋〕
山奥に入ると下水が整備されている訳でなし、昔風のぽっちゃんトイレが多い中でウォシュレット設置の上にオール電化に近い家もあった。これならスムーズに衣食住の住に馴染むことができる。不動産屋さんが管理しているだけのことはある。しかし、家の間取りはこの地区特有のものなのか、畳の4部屋が田の字に配置されている。多分、襖を取り払えば大広間として結婚式や葬式に対応できるようにしたのであろうが、木造軸組み工法でこの間取りにすると筋交いを入れられる壁が減るので構造的に横からの力に弱くなる。地震に弱い構造。自分が嫌だったのは、田の字配置の和室では収納スペースが確保できない点。
この家はトイレも台所も風呂も結構良かったのですが、間取りが納得できませんでした。
〔相当な手入れが必要な家屋〕
家は人が住んでいないと急速に痛みます。床が落ちたり、天井が落ちたり。今回、紹介された家の何件かは、住民の方が昨日まで生活されていたような状態。急に慌てて家を片付ける暇もなく出て行ったという雰囲気。そういう家が何件かあった。家を出て行ってそのまま放置していたようなので家は相当傷んでいる。天井裏にテンか何か動物が巣を作っているような家も。
自分も島根出身であるが、島根の人間は家の片づけも出来ないのか?と最初は思っていたが、よくよく考えるとそうではなさそうな事情が分かってきた。
津和野の山の手なので車が無ければ生活できない。老夫婦二人が住んでいたのだろう。ある日、老夫婦のどちらかが体の不調を訴えて病院に行く。そして医者は言う。入院が必要ですね。残された夫婦の一人はバタバタと入院の準備のみして、自分も付添いの為に町に出ていく。子供と相談してそのまま町に住むことになる。こんなパターンではないだろうか?
思い出の家は暫く人に貸したくない。そうする内に家は痛んでいく。
多分、津和野の山奥で普通に新規就農して、生活費以上の金を稼ぐのは難しいのではないかと思う。就農費用も新規だと相当掛かるだろう。その時に家屋の修理に金が掛かるような家を借りる人は少ないと思う。逆に言うと修理に使うだけの金がある人ならもっと良い条件の家を探すだろう。
〔風景が良く、農業に適した家〕
私は島根の山奥で育った。茅葺、囲炉裏、ランプの生活だった。牛で田を耕し、足踏み式脱穀機で脱穀していたのを見た記憶がある。3歳までしかいなかったが。家の前には水路があって、綺麗な水が流れていた。私の田舎暮らしに必要なのは、山と綺麗な水である。
何を求めるのかは人によって異なるので、何を良い風景と言い、何を農業に適したというかは、一概に言えないが、山に囲まれた生活をしてみたいなら津和野は良いところだと思う。
標高450m。夏でも涼しいので借家にクーラーは無い。