あの頃の食品
(発売された年を表示しています)
1959年:おやつカンパニー ベビースターラーメン 10円
創業者がノンフライ麺の製造中に生じるカケラを捨てるに忍びなく、いったん湯で戻し味付けしてフライにするとおいしく
食べられる事をつきとめ当初は「ベビーラーメン」と命名し価格10円チキン味で販売スタート。1973年まで
14年間にわたって10円で販売したが石油ショックで20円1980年には30円となっていく。パッケージを集めると
双眼鏡が当るという懸賞もあった。
1960年:丸美屋食品「のりたま」 20g/30円
今も昔も旅館の朝食の定番「卵と海苔」この2つを一緒にしたふりかけを考案。当時卵は贅沢品であった。
また、1963〜64年にかけてエイトマンシールをおまけに付け、更に売り上げを伸ばす。
1961年:キッコーマン卓上ビン
赤いキャップのお醤油さし。デザイン担当は「成田エクスプレス」のデザインをした、GKインダストリアルデザイン
研究所:栄久庵憲司らのグループ。機能性、デザイン性に優れたびんの形状は、40年間まったく変わっていない。
大塚製薬 オロナミンCドリンク
ドリンク剤の分野で遅れをとった大塚製薬が、すだち味とコーラの清涼感をヒントにシュワ−とした飲み口と
「元気ハツラツ」というコピーで売り出し、年間10億本以上の販売実績を誇る大ヒット商品となった。
明治製菓 マーブルチョコレート 7色/36粒入って30円
2月に発売開始。糖でチョコレートをくるむ事で溶けにくく、夏でも売れるうえ、チョコレート=板チョコの既成概念を
打ち破った。七色はすべて天然色素で安心。昭和38年〜はテレビ放送の鉄腕アトムを独占提供、シール、ワッペンなども
投入し爆発的人気。総売上No1だった森永を明治が抜いた。
1962年:大正製薬 リポビタンD 150円でデビュー現在も税込み153円
現在の冷えたドリンク剤のスタイルを初めて作った。10本入りの箱を店内に山積みし、電動ディスプレー等で売り上げを
のばす。また、王選手のホームランスポットのライトスタンドに「リポビタンD」の大型広告を置いた。
(王がホームランを打つ度に広告が大写しになる。)
1963年:エースコックのワンタンメン
♪ブタブタコブタ、おなかが空いた、ブ−♪ のCMソングで大ヒット。コックの姿をしたコブタのマークを誕生させた。
(ブタは円満と繁栄の象徴とされる)このメーカーは、ビスケット製造販売を営んでいた梅新製菓が前身である。
1964年:カルビー かっぱえびせん 1袋50円
♪やめられないとまらない〜 カルビーかっぱえびせん♪のCMとともに大ブレイク。海老もてんぷらも日本人の大好きな
食べ物。体長8〜10センチの海老を丸ごと使用。栄養豊富だがローカロリーでカリッとした歯ざわりは、生地を煎って
仕上げる製法による。
森永 ハイクラウンチョコレート 70円
1月発売、4本入り。高級たばこケントの箱をヒントにしたパッケージで大反響。中に入っているしゃれたカードも
大人気。イメージキャラクターは日本のモンロー言われた淡路恵子。
1965年:かばや ジューC 30円
当時人気の粉末ジュースをもっと手軽に、もっと美味しく、という思いから錠剤のように固めて発売して大ヒット。
ビタミンC入りにして更に人気を呼ぶ。オレンジ、ピーチ、レモン、グレープの4種類。今でも根強い人気を保つ。
明治製菓 チョコベビー 100円(36g)
11月発売。つやつやしたベビーサイズのチョコレートと、薄くて透明な容器は当時画期的だった。
今でこそ見なれた形だが、当時は握りやすさを調べるため、銃のにぎり部分まで調べて開発したそうだ。
1966年:グリコ ポッキーチョコレート
食感の音「ポッキン」からのネーミング。プリッツでヒットを飛ばしたグリコがチョコレートとのドッキング製品を
考案し、1970年代には「ポッキーオンザロック」戦略で酒のつまみ市場を開拓し巨大化、定番商品として成長して
行く。
1968年:大塚化学 ボンカレー 1個80円
NASAが宇宙食として高温殺菌によるレトルトパックの技術を研究しているのを知り、大塚化学が開発。
世界初のレトルト食品として登場。独り暮しの男性でも温めるだけで簡単に食べられることから「チョンガーカレー」
という命名案もあった。発売当初、透明パウチ入りだったが、密閉性が不完全で微生物が発生し、袋が破裂したため、
夜中になるとボンカレーがひとりでに歩き出す、という噂まで流れた。
翌年、袋の問題を解決し笑福亭仁鶴の「ダイゴロ〜3分間待つのだぞ〜」の子連れ狼をもじったCMで大ヒット。
また、ホーローの看板9500枚を作成し、営業マンが1日15枚のノルマで全国各地に取り付けてまわったため、
全国的な知名度を得た。
日清食品 出前一丁
1958年に、業界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売した。その後10年間で即席ラーメンメーカーは
170社に増えた。起死回生の1打として「ゴマラ−油」を添付した「出前一丁」を売り出した。
パッケージの赤と黄色は、タクシーのボディーカラーからヒントを得た。タクシー業界は、東京オリンピックを控えて、
外国人観光客の増加を見込み、遠くから目立つカラーを使いはじめていた。
サッポロ1番 みそラーメン 1袋30円
1966年サッポロ1番しょうゆ味、1968年みそ味、1970年塩味が発売される。みそラーメンは他社に
さきがけての発売だった。CMに起用した藤岡琢也も庶民的な味わいでマッチ。みそと言えば、サッポロ1番として定着。
明治製菓 カール
♪それにつけても、おやつはカール♪ コーンを原料としたパフ(膨張スナック)は味付けが自由でバリエーションが
豊富。原料のコーンの供給も安定していた事が追い風となり大ヒット。
1969年:上島珈琲 UCC COFFEE 80円
乳飲料「ミルクコーヒー缶」として大普及。
森永製菓 ハイソフト
12月発売。キャラメルの支持層を拡大する大ヒットとなる。今までのキャラメルの味の奥行きを広げた。
明治製菓 アポロチョコ 100円
8月発売。アメリカの宇宙船アポロ11号、人類初の月面着陸にちなんで登場。ピンク(いちご味)とチョコが
ドッキングした三角形は、宇宙船をイメージして作ったもの。
1971年:日清 カップヌードル 100円
箸とおどんぶりから、フォークと紙コップへ。インスタントラーメンを国際商品にというコンセプトのもと開発された。
袋麺が25円の時代に100円という価格がネックだったが取り引き第1号は自衛隊で演習中の食料として購入。
浅間山荘事件のとき真冬の山中で配られて有名になった。全体のデザインは今日でも殆ど変わっていない。
森永 小枝チョコレート
9月発売。砕かれたナッツと小枝の形のかわいらしいチョコ、食感もよく大ヒット。
1972年:ポッカ 缶コーヒー
本格的缶コーヒーを発売。翌年姉妹品としてポッカレモンティーを製品化。缶コーヒー発売と同時に、夏は冷やして、
冬は温めて売るホット&コールド自販機をポッカが初めて開発、1973年から展開を開始。このおかげで、缶コーヒー、
缶紅茶は年間を通じて販売できる商材となり、現在の巨大な飲料市場を築くもとになった。
(参考文献)
「超ロングセラー大図鑑2001」松浦美紀著 竹内書店
図説/昭和レトロ商品博物館 2001年 串間 努著 河出書房新社
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