花茂本店 花の館 青山花茂ビル 港区北青山3−12−9
03−3400−0871
青山通りの、紀ノ国屋より2〜3軒渋谷寄りのレンガ色のビルの前に、季節の鉢植えが美しく飾られています。
店内には、華麗な蘭の鉢植えやピンと背筋の伸びた菊の花や、たおやかな色とりどりの花々が並んでいます。
100年に渡って、青山一のお花屋さんの老舗として、最高の花だけを売り続けていらっしゃいます。
花茂の歴史
初代:北野午蔵(茂吉)
明治2年 徳島県出身。連隊の入営などで活気がでて来た青山でお休み処を始める。
お参り客のため、店頭に生花を置く。 明治42年青山善光寺の門前に花屋として小さな店を持つ。
2代目:初代と同郷、青山の材木問屋で修行していた。初代と供に身を粉にして働く
早い時期に電話を架設し(架設料300円/1日の売り上げ70銭〜1円)
このため、電話のある家からの注文が集まるようになり、高価な花が売れた。
また、帝国ホテルをはじめとする大きなビルの建設により、宴会に花が用いられる
ようになった。花市場の整理、自前の花畑の経営など、業界の発展に寄与する。
やがて、小原流の集まりに同席するようになり、華道小原流の花材を一手に引き受ける。
華道は、草、花、木、空間 を使った造形の極地であり、当然最高の花材が求められる。
並々ならぬ努力で最高の花材を見い出し、期待に答え、花茂を大きく成長させた。
3代目:青南小学校卒業(33回生)戦後、焼け野原の青山に、2代目とともに
花茂を再興。厳しい花屋の修行を積む。八丈島の雑多な植物を持ち帰り観葉植物ブームの
はじまりを作った。海外の花にも早く着目し輸入業務も開始。
1975年「花の館」青山花茂ビル地下1階、地上9階オープン
4代目:現社長 青南小学校卒業(58回生)
最高の花材を扱う店として、更に発展を続けている。
(今回、このサイトを作るにあたって大変な御多忙の中、迅速な対応をして下さいました。
青南の卒業生ということで大変な御配慮をいただきました。)
参考資料:「花に命あり」−花茂三代− 阿木翁助著 甲陽書房 昭和47年
青山 花茂 パンフレット
資料提供:花茂
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